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「私たちはみなヒバクシャ」世界の健康被害、撮り続けた [戦後75年特集] - 朝日新聞デジタル

 フォトジャーナリストの豊崎博光さん(72)=神奈川県湯河原町=は40年余りにわたって、米国による核実験で故郷の島を追われた太平洋・マーシャル諸島の人々や、米国の核開発によって健康被害を受けた先住民族や米兵ら、旧ソ連の原発事故による被害者など、世界の「ヒバクシャ」の取材を重ねてきた。

 「日本人は、75年前に不幸にも広島・長崎で原爆被害にあった人たちと自分は違うと思いがちだが、私たちはみなヒバクシャです。核実験や原発事故により、地球規模で放射線は流れているのに、自分は被ばくしていないと思っている」

拡大する写真・図版米国が太平洋ビキニ環礁で実施した水爆「ブラボー」実験などによってできたクレーター(1994年3月撮影)

拡大する写真・図版不安な表情を浮かべながら再移住するビキニ島民ら。1968年8月、ジョンソン米大統領はビキニ環礁の島々の放射線量が減ったとして「ビキニ安全宣言」を発表。翌69年より、避難先のキリ島に移住していた一部住民がビキニ島に帰郷した。78年8月、米国の「ビキニ安全宣言」を信じて帰郷していたビキニ島住民139人の体内放射線量が上がり、全員がキリ島に戻された。ビキニ島内産のヤシの実などを食べたことが原因とされ、米国はビキニ環礁を以後60年間閉鎖すると発表した(1978年8月撮影)

 米国は、広島・長崎への原爆攻撃から間もない1946年から58年にかけて、マーシャル諸島で67回の核実験を実施。54年の水爆「ブラボー」の実験では、静岡県のマグロ漁船「第五福竜丸」などが「死の灰」を浴びた。約1千隻の日本の船がその海域を航行したが、米日両政府は第五福竜丸だけに限定し、200万ドルの「見舞金」で政治決着した。また、水爆実験で健康被害を受けたと訴える高知県の元漁船員ら11人について、労災認定にあたる船員保険の適用を審査した厚生労働省の社会保険審査会は昨年9月、元船員らの再審査請求を棄却した。健康被害は「放射線被ばくによるものと認められない」と判断した。

 豊崎さんは、78年からマーシャル諸島に通い、ロンゲラップ島の元村長ジョン・アンジャインさん一家らの写真を撮り、体験を聞き取った。米国の研究所は、妊婦を含む島民らをグループ分けし、「被ばく者」と「非被ばく者」の2種類のカードを持たせた。核実験後の避難行動や摂取した食物などの記録を取り、体内の放射線量を測定した。

拡大する写真・図版米国で甲状腺の検査を受けるジョン・アンジャインさんの四男レコジさん。1954年3月の水爆「ブラボー」実験当時1歳で、ロンゲラップ島に降った「白い粉」(放射性降下物)の中で転げ回って遊んだという。68年に米医師団の定期検診で甲状腺の異常が見つかり、米ニューヨーク州の米ブルックヘブン国立研究所で手術を受ける。72年、急性骨髄性白血病により、19歳で死去(ジョン・アンジャインさんのアルバムから)

拡大する写真・図版太平洋ビキニ環礁の東約180キロにあるマーシャル諸島・ロンゲラップ島の元村長ジョン・アンジャインさん。手にしているのは、1954年3月1日の水爆「ブラボー」実験の後、米国が被ばく証明用に撮影した写真。「ロンゲラップ 40番 プロジェクト4.1」の札を持たされている。爆発威力は15メガトン、広島型原爆の約1千倍だった。島民の9割は放射性降下物によるやけどを負ったが、米国は「地元の住民が予期せず若干の放射性物質を浴びた。やけどはない」などと発表。薬を与えず、治療もせず、やけどなど被ばくによる症状を観察した。 ジョンさんは避難先の島で3年間過ごしたあと、ロンゲラップ島に帰還したが、変わり果てた島での食料調達に苦労した。口のまわりには水疱(すいほう)ができ、下痢をした。体全体がかゆかったという。帰島後、多くの女性が死産や流産を経験。80年代に入ると、被ばく2世や3世にも影響が表れた。85年、島に残る放射性物質の影響から逃れるため、島民らは約190キロ南のメジャト島に移住した。ジョンさんは73年に米オハイオ州の病院で甲状腺結節の手術を受けた。2004年7月、肺と胃に腫瘍(しゅよう)のようなものが見つかり、精密検査のためにハワイの海軍病院に入院し、81歳で死去。死因は胃がんとされた(2000年10月撮影)

 豊崎さんが入手した米国の機密文書にはこう記されていた。「ロンゲラップは地球上のいかなる土地よりも放射線量が高い。放射線についての貴重なデータを提供してくれる。こういうデータは今まで(広島・長崎原爆では)手に入らなかったものだ」。ソ連との核戦争に備えて放射線の人体影響を調べる米国の「プロジェクト」だった。

 「核大国アメリカはヒバクシャ大国です」と豊崎さん。ネバダ核実験場などの風下被ばく者など約100万人もいる。

 核大国の核実験場にされた南半球の国々など122カ国が賛成して2017年に採択された核兵器禁止条約の前文は「核兵器の使用による犠牲者(ヒバクシャ)と核実験による被害者の受け入れがたい苦難を心に留める」とうたう。

拡大する写真・図版1987年秋、ニューヨークで「第1回核被害者世界大会」が開かれ、参加した日本、米国、英国、フランス、ドイツ、スウェーデン、マレーシア、フィリピン、台湾、韓国、マーシャル諸島、ポリネシアなどの放射線被ばく者は自らを「HIBAKUSHA(ヒバクシャ)」と名乗り始めた。「ヒバクシャの存在を認めて補償をするべきだ」と訴えて、ニューヨーク市内をデモ行進するヒバクシャたち。中央は広島原爆被爆者の森滝市郎さん(1987年10月撮影)

 マーシャル諸島は条約の署名・批准を済ませていない。島には米軍のミサイル実験施設があり、条約に反対する米国の援助がなければ国として成り立たない。

 冷戦は約30年前に終わったが、トランプ米政権は「使える核兵器」開発を続ける。こうして多数のヒバクシャを生みながら造られた米国の「核の傘」に安全保障を委ねる日本政府も、条約に背を向けている。(田井中雅人

     ◇

拡大する写真・図版豊崎博光さん=2020年7月5日、神奈川県湯河原町、田井中雅人撮影

 とよさき・ひろみつ 1948年、横浜市生まれ。78年から核問題の取材を始める。「アトミック・エイジ」(95年)で平和・協同ジャーナリスト基金賞、「マーシャル諸島 核の世紀」(05年)で日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞を受賞。

シリーズで刊行

 豊崎博光さんは「写真と証言で伝える世界のヒバクシャ」シリーズの刊行を始めた。「核兵器の製造や原子力発電などが始まって以来、ヒバクシャが生み出され続けていることを知ってほしい」と話す。第1巻「マーシャル諸島住民と日本マグロ漁船乗組員」(既刊、税別1万5千円)、第2巻「アメリカ被ばく米兵と被ばく住民」(今秋刊行)、第3巻「旧ソ連、オーストラリア、日本」(21年刊行)。問い合わせは、すいれん舎(電話03・5259・6060、ファクス03・5259・6070)へ。

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August 09, 2020 at 12:45PM
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